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福岡高等裁判所 平成9年(う)349号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一〇〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人安東哲提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官樋口生治提出の答弁書に各記載されているとおりであるから、これらを引用する。

第一  訴訟手続きの法令違反の主張について

所論は、要するに、原審裁判所は検察官請求の各書証について原審弁護人から証拠とすることについて同意する旨の意見を徴しただけで右各書証を取り調べこれを有罪認定の資料としているが、被告人は本件公訴事実を否認していたのであるから、検察官が証拠調べ請求をした各書証について弁護人が同意したとしても、これとは別に被告人に対し右書証を証拠として取り調べることについて同意するか否かを確認すべきであり、被告人の同意が得られた書証についてのみこれを取り調べ同意の得られない書証についてはこれを取り調べるべきではないというべきである。しかるに、原審裁判所はそのような措置に出ておらず、かかる訴訟手続きは刑事訴訟法三二六条に違反しており、右法令違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

そこで検討すると、刑事訴訟法三二六条一項は「被告人が証拠とすることに同意した書面」については伝聞証拠であっても証拠とすることができる旨を規定しているところ、右の同意は弁護人がその包括代理権に基づき被告人を代理してこれをすることができるものであり、それが被告人の明示した意思に反する等の特段の事情が認められない限り、弁護人の同意をもって被告人の同意とみなして妨げないものと解するのが相当である。これを本件についてみると、記録によれば、原審第一回公判において、被告人及び弁護人は、被告事件に対する意見陳述としていずれも公訴事実を否認する旨述べ、検察官が被告人の尿の差押状況、尿の鑑定結果、被告人の身体の注射痕の状況、被告人宅等の捜索差押状況及びその結果、被告人の犯行当時の生活状況、行動範囲等を内容とする各書面並びに被告人の否認供述を内容とする被告人供述調書更に前科関係書類等の取調べを請求し、弁護人の同意を得て原審裁判所がこれらを取り調べたこと、その際、被告人は弁護人が右各書証の取調べに同意する旨陳述したのに対しなんら異議を唱えず、また、裁判所が証拠として取り調べる旨の決定をしたことに対しても異議等を申し立てなかったことが認められるのであって、右のような訴訟の経過並びに取調べ請求にかかる書証の立証趣旨、立証事項等にかんがみるならば、原審裁判所が特に被告人本人に対して書証の取調べに同意するか否かを確かめることなく被告人の否認調書を含む検察官請求の各書証を弁護人の同意のもとに取り調べたことをもってその訴訟手続きが法令に違反したものとはいうことはできない。被告人は、後になって尿の同一性や鑑定結果の信用性等を争うに至っているが、当初は女性から精力剤だと言われて白っぽい粉を飲まされたがそれが覚せい剤であったのかも知れない旨弁解し覚せい剤使用の犯意の有無だけを争おうとしていたもののように窺われ、被告人、弁護人の訴訟に臨む基本的態度がこの点にあったとすれば、右各書証を取り調べた時点において、被告人が犯罪事実を否認することと弁護人が検察官請求書証を全て同意することとが必ずしも矛盾しているといえない。なお、弁護人は、原審裁判所がその第二回公判において被告人が所持していた注射器の性能に関する実験結果等を内容とする書証を取り調べたことをも論難し、それにも前同様の訴訟手続きの法令違反があるというが、それが理由のないことは既に述べたところからまた明らかであるということができる。

更に、所論は、強制採尿を行った際の捜索差押調書(甲一)には、強制採尿を実施した日は被告人を逮捕した日である五月七日と「同日」と記載されているところ、捜索差押許可状の発令日は同月八日であるから、右強制採尿は令状なく実施されたもので重大な違法があり、このような違法な採尿によって押収された尿の鑑定書は、違法収集証拠として証拠排除されるべきであるのに、これを有罪認定の資料とした原判決には訴訟手続きの法令違反があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるというが、右捜索差押調書の第一葉には強制採尿を実施したのは五月八日である旨明記されており、かつ、右調書には捜索差押許可状の発付を得た日と「同じ日」に強制採尿を実施した旨が記載されていることが一見して明らかであるから、論旨は到底採用できない。

第二  事実誤認の主張について

所論は、要するに、原判決は「罪となるべき事実」として「被告人は、平成九年四月中旬(原判決は四月「上旬」と記載しているが、起訴状の記載及び原判決の挙示する各証拠の内容に照らして右は「中旬」の誤記と認める。)ころから同年五月七日ころまでの間、福岡県内またはその周辺において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンの塩類若干量を自己の身体に摂取し、もって、覚せい剤を使用した」と認定判示しているが、その証拠とされた鑑定書(甲六)の鑑定資料である尿が被告人の身体から採取されたものであるかについて疑いがある、また、仮に被告人の尿から覚せい剤反応があったとすれば、被告人は、平成九年五月六日に北九州市門司区内のホテル「甲野」において「A子」と名乗る女性から精力剤ということで白っぽい粉末を貰って飲んだが、それが覚せい剤であったためであるとしか考えられず、そうだとすれば被告人には覚せい剤使用の故意がない、しかるに原判決が前記のとおり被告人が覚せい剤を使用した旨認定したのは事実を誤認したものであり、これらの事実誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係各証拠及び当審における事実取調べの結果によれば、原判示のとおりの覚せい剤使用の事実を優に認めることができるから、原判決に所論のいうような事実誤認はない。以下、所論にかんがみ補足して説明する。

先ず、鑑定資料の尿が被告人の身体から採取されたものであるかどうかについて検討すると、右関係各証拠によれば、被告人は、平成九年五月七日午後二時二四分、覚せい剤取締法違反(譲渡)容疑で通常逮捕され、その際、目が窪んで頬がこけた様相や落ち着きがなくそわそわして覚せい剤常用者特有の態度がみられたことや左腕関節内側に真新しい注射痕が認められたことなどから、覚せい剤使用の事実が疑われたので、被告人に対し尿の任意提出を再三促したが、「出したいんやけど、自分は出にくい体質なんですよ。」等と申し立て、結局任意提出に応じなかったので、同月八日、小倉簡易裁判所裁判官田村義隆から被告人の身体に対する捜索差押(採尿)許可状の発付を得て、同日午後三時一〇分ころ北九州市《番地略》B医院処置室において、被告人に捜索差押許可状を示した後、警察官Cが被告人の面前で被告人に対し「よく見ておくように」と言って採尿用ポリ容器を水道水で洗浄し、医師Bがカテーテルを用いてベットに横たわった被告人の膀胱内から右ポリ容器内に尿約二八ミリリットルを採取し、これを右Cに手渡し、Cがベッドに腰掛けた被告人の面前で右ポリ容器に蓋をして密封し、被告人はベッドに掛けたまま小机の上で立会人票の被採尿者欄に「私は知りません」と書いて指印し、右立会人票をポリ容器に貼付した後その割印をするように求められると、自分の尿かどうか分からないので割印はしないと言ってこれを拒否し、同日午後三時四五分ころ被告人の尿の捜索差押手続きを終え、同月九日右ポリ容器内の尿について覚せい剤含有の有無を福岡県警察科学捜査研究所長宛鑑定嘱託し、同月一三日同研究所技術吏員が右尿を鑑定した結果覚せい剤の含有が認められ、その旨の鑑定書(甲六)が作成されたことが認められる。

所論は、鑑定書(甲六)の鑑定資料である尿が被告人の身体から採取されたものであるかについて疑いがあるといい、被告人は、検察官調書(乙三)において、採尿後警察官がポリ容器をつい立てか柱の陰に持っていって見えなくなったことがあったので、鑑定された尿が自分の尿か分からない、と供述し、また、原審及び当審公判廷において、カテーテルを挿入されたときの痛みはあったが放尿感がなかったことや、採尿後警察官がポリ容器を処置室から被告人から見えない診察室か受付事務室の方に持っていったことなどから、右ポリ容器の尿が被告人の体内から採取されたものか分からない、などと供述しているが、関係各証拠、とりわけ右強制採尿に立ち会った警察官Dの検察官調書(甲四)、被告人から採尿をした医師Bの検察官調書(甲三)、強制採尿の状況を撮影した写真撮影報告書(甲二)等に照らしてみるならば、被告人の前記供述は全く根拠のないものであることが明らかであるから、この点の論旨は採用する限りでない。

また、所論は、仮に被告人の尿から覚せい剤反応があったとすれば、被告人は、平成九年五月六日に北九州市門司区内のホテル「甲野」において「A子」と名乗る女性から精力剤ということで白っぽい粉末を貰って飲んだが、それが覚せい剤であったとしか考えられず、そうだとすれば被告人には覚せい剤使用の故意がないといい、被告人は検察官調書(乙六、九)及び警察官調書(乙七)並びに原審及び当審公判廷において、A子という女性から何回か電話がかかってきて、同月六日初めてホテルで会った、その住所は門司区ということしか知らない、同女から精力剤ということで白っぽい粉末を貰ってお湯で溶いて飲んだ、被告人の尿から覚せい剤が検出されたとすればそのとき飲んだ粉末のためであるとしか考えられないなどと供述するが、被告人は、同人の尿から覚せい剤が検出されて覚せい剤使用の事実で同月一九日逮捕され、当初被告人の尿から覚せい剤が検出されたことについて「心当たりがあるともないともいえない。」などと供述していたのに、同年六月六日に至って初めて右のような供述を始めたものであって供述経過が不自然であること、被告人は覚せい剤取締法違反の前科が四犯ある上、平成九年三月ころ、妻から被告人のズボンのポケットに銀紙に包んだ白いザラザラした粉があるのを発見されてまた覚せい剤に手を出していることを叱責されたが何も弁解しなかったこと、被告人が逮捕されたころ使用していた普通乗用自動車(平成二年式ブルーバード)を捜索したところ車内運転席足下にあった黒色ポーチの中から未使用の注射器二本が発見押収されたこと(被告人は、捜査段階並びに原審及び当審公判廷において、右注射器は右自動車の足周りにグリースを注入するのに使用するため所持していたと供述しているが、右車両はグリースアップする必要がないものであること、グリースを注射器で注入しようとすると外筒からあふれる量が注入される量より多いこと、被告人は原審公判廷において、グリースの入手先は覚えていないと供述していることなどに照らすと、右供述は信用できない。)、被告人自身、女から飲まされたときその味は甘渋く覚せい剤の味とは違っていたし、覚せい剤のような効果も感じなかったと述べていることなどに徴すると、被告人の前記弁解は信用し難い。

その他、所論がるる主張するところを逐一検討してみても、原判決に影響を及ぼす事実誤認は見出せない。

第三  結語

よって、論旨はすべて理由がないから、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条を適用して当審における未決勾留日数中一〇〇日を原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用について刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用し被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 神作良二 裁判官 岸和田羊一 裁判官 古川竜一)

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